私見:少子化について


サンショウウオが住む清流は
お世辞にも餌が多いとは言えない

 さて、いま社会では「少子化」が世界中で問題となっているわけだが、その原因と対策については、いまだ明確な回答が得られていないというのが、私の所感である。そしてこの問題は、どうやら程度の差こそあれ、ある程度社会が成熟した国家においては、必ず発生しているようである。

 ただ、このように考えることができるのではないか、という話をしていきたい。

 前提として、人間は他生物と同様の生物的挙動を行うと仮定しよう。

 生物学の理論の中に、「環境収容力」というものがある。この環境収容力は、生物群が生存して繁殖するために必要な資源量によって決まる。例えば食料、住みか、などである。

 人口が爆発し、棄民政策すら議論されていた1900年代はどんな時代であったか。ハーバーボッシュ法による肥料の安定供給、農業分野での機械化による効率化、品種改良による理想的な農作物の選別。食料の供給1つとってもこのように、100年前は人間が生存するために必要な資源の供給量を高めるために、科学的リソースをしっかりと用いていたのだ。

 だが現在はどうだろうか、コンピュータテクノロジー、インターネット、宇宙開発、通信技術の発展などは、確かに人間を幸せにしたが、果たしてこれは、人間の環境収容力の増加に貢献しただろうか。私はその逆のことが起こっていると思う。新しい時代の人間は、以前に比べてエネルギー、資源、空間、全てを大量に消費する。そうしなければ他個体との競争に勝利することができない。

 つまり、ここ50年くらいの先進国では、環境収容力は頭打ちであったが、個体1体が生存に必要な資源量が上昇したのだ。

 そこで人間が、他の生物と同様の挙動をとったのなら、きっと種全体で個体数が減るような変化を遂げるだろう。

 この理論は様々な現象を説明できる。移民が社会問題になっている国々では、在住者よりも移民の人口増加率が高いため、人口の逆転が起こりつつある。これは比較的環境収容力に余裕のある先進国に、個体一人当たりに必要な資源の少ない移民が流れ込めば、必然的に移民の人口は大幅に増えるだろう。

 東アジアで起こっている急速な人口減少も、環境収容力の概念で説明できるかもしれない。生物群集の個体数は、環境収容力を超えて個体数を急速に増やしたのち、ある一点で減少に転じ、やがて環境収容力の値に収束していく。急激な近代化によって一気に環境収容力が増えた東アジア諸国では、爆発的な人口増加を経験したのち、人口増加率は緩やかになって反転、下降を開始する。最後に環境収容力の値に収束して終わるのである。

最後に、雑な解決策を示しておこう

政治的な選択肢。
・環境収容力を増加させる。
 たくさんの食べ物、住みか、エネルギーを、可能な限りたくさん供給するのである。たくさん作れば、サービスと消費財が安価になる。拡大した環境収容力によって、人々は個体数増加に積極的になるだろう。

そんなに悪くない選択肢。
・現状維持
 一部の人口が増加する前提で続けている政策を見直し、人口減を前提に政策を立てる。

悪い選択肢。
・1個体あたりの資源消費を減らす。
 昭和の時代に逆戻りすれば、人一人当たりの消費資源が少なくなるので、個体数増加が予想される

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